"古代史"カテゴリーの記事一覧
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日本語はアルタイ語族といわれ長らく朝鮮・満州方面が その原郷とされてきました。
近年 日韓両国語は その表面的な類似を掘り下げていったところで底のほうでの違和感が拡大してきて 少なくとも語彙の面で違う原郷を探す必要にせまられています
日本語がタイ・カダイ語族だという人はいないでしょうが、表面の分厚い異質性を掘り進んだところに なつかしい原郷語が顔を出してくるのかもしれません
日本の水田稲作農耕は南方起源ですし、伊勢神宮の神明造りを見て この建築は北方系だという人はいますまい。
photo credit:
Colloque Franco-Japonais sur le Paysage
魏志倭人伝は日本を南シナ海にある海南島の真東だと言ってるわけで 邪馬台国という国自体を ใหญ่เมืองใต้ 意味は「南の大国」と覚えておくのもよいかもしれませんPR -
下関は、かつて赤間関(あかまがせき)と呼ばれていた。 漢語では「馬関(ばかん)」それで、馬関戦争の名がある。
「ま」は、魏志倭人伝で邪馬台国や投馬国に含まれる「馬」、高句麗を「こま」と呼ぶときの「ま」で かなりの大国?を表す。
「ま」以外に任那の「な」、百済(くだら)新羅の「ら」、新羅(しらぎ)と読むときの「き(城 )」も国であろう。
城は「さし」ともいう。出石や明石の「し」も城市を持つ国かもしれない。
赤間(あかま)の「あか」は、あかあかとした明るさ、あるいは「空き」に通じる広々とした空間。それで豊秋津洲(とよあきつしま)本州の古名 がある。
明石の意味も、また、それに同じで、その国名の発祥を伝える赤羽(あかば)神社の名前は、「赤馬」に通じる。
万葉歌にある「秋柏」は「明石は」と読むのがよさそう
秋柏 潤和川べの しぬのめの 人にしぬべば 君にたへなく
朝柏 閏八河邊の しぬのめの しぬびて寝れば 夢に見えけり
潤和を播磨国 明石郡 伊川谷潤和に比定(井上通泰説) -
アメノヒボコは、渡来人または渡来神として日本の古書に記されている。
書紀は、ヒボコの足取りを、播磨國宍粟邑、淡路嶋出淺邑に始まって、自菟道河泝之、淀川をさかのぼって、北入近江國、滋賀県に入り、吾名邑而暫住。復更自近江經若狹國,西到但馬國,則定住處也 若狭をへて但馬に至り定住したとする。このルートは兵庫県南東部をおさえる明石国造の支配地域を大きく迂回していて、古事記が伝える「將到難波之間、其渡之突、塞以不入」前妻を追ってはるばるやってきたヒボコだが、会うことすらかなわなかった、という記述にも対応する。
難波というと現代人は大阪を思い浮かべるが、明石の海も風波がきつく「難波難海」と呼ばれていた。明石は太陽燦燦と輝く明るい土地で、アカルヒメの名前にふさわしい。アカルヒメは、また、赤い宝石の化身でもあり、明石の旧字が赤石であることにも対応する。この宝石を神宝とする明石郡伊川谷潤和にある赤羽神社は、これこそが明石郡の名前の由来であると云う。通説は、海の中にある赤い石が明石の名前の起こりであるとする。私も赤羽神社の社伝を見るまでは、そう思っていた。
赤羽は「あかば」と読むようである。 下関を馬関といったり、赤間関といったりするように「ば」と「ま」は通じている。瀬戸内海の西端と東端に「あか」の地名があるのは興味深い。アカルヒメを祭神とする神社も内海の西と東に分布する。
アメノヒボコ伝承の時代は三つの本によって数百年の差がある。
風土記では大国主や少彦名が登場する神話の時代、戦いの描写も多く、米作が普及しているようなので、たぶん弥生時代。日本書紀は垂仁紀で、弥生時代と古墳時代の境目。大胆に予測すればヒミコの時代の前後。古事記は大阪平野に大古墳が築造された時代、つまり五世紀。 日本書紀や古事記の時代設定をとると、アメノヒボコの子孫で垂仁天皇につかえた但馬の豪族の話があわなくなる。 天日槍娶但馬國出嶋人太耳女麻多烏。 生,但馬諸助也。 諸助生,但馬日楢杵。 日楢杵生,清彥。 清彥生,田道間守と初代のヒボコから五代を経ている。
古事記はアメノヒボコの最初の妻、アカルヒメを詳しく記す。美麗孃子、美しい女であって、珍味恒食、料理上手。出身は日本列島の難波。赤い宝石の化身として描かれる。しかし、ヒボコが心奢詈妻、心が奢って妻を罵ると腹を立てて難波に戻ってしまう。ヒボコは後を追うが復縁はかなわなかった。
各地をさすらった後、娶但馬國出嶋人太耳女麻多烏、但馬の豪族 太耳の娘 麻多烏と再婚し、子孫も繁栄したという。
日矛伝説(原文)
古事記
又昔有新羅國王之子名謂天之日矛是人參渡來也所以參渡來者新羅國有一詔名謂阿具奴摩此沼之邊一賎女晝寢於是日耀如虹指其陰上亦一有賤夫思異其状恒伺其女人之行故是女人自其晝寢時姙身生赤玉爾其所伺賤夫乞取其玉恒裹着腰此人營田於山谷之間故耕人等之飮食負一牛而入山谷之中遇逢其國王之子天之日矛爾問其人曰何汝飮食負牛入山谷汝必殺食是牛即捕其人將入獄囚其人答曰吾非殺牛唯送田人之食耳然猶不赦爾解其腰之玉幣其國王之子故赦其賤夫將來其玉置於床邊即化美麗孃子仍婚爲嫡妻爾其孃子常設種種之珍味恒食其夫故其國主之子心奢詈妻其女人言凡吾者非應爲汝妻之女將行吾祖之國即竊乘小船逃遁渡來留于難波(此者坐難波之比賣碁曾社謂阿加流比賣神者也)
日本書紀
垂仁紀 三年,春三月,新羅王子天日槍來歸焉。將來物,羽太玉一箇、足高玉一箇、鵜鹿鹿赤石玉一箇、出石小刀一口、出石桙一枝、日鏡一面、熊神籬一具,并七物。則藏于但馬國,常為神物也。
一云,初天日槍乘艇泊于播磨國,在於宍粟邑。時天皇遣三輪君祖大友主與倭直祖長尾市於播磨,而問天日槍曰:「汝也誰人 且何國人也」天日槍對曰:「僕新羅國主之子也。然聞日本國有聖皇,則以己國授弟知古而化歸之。」仍貢獻物,葉細珠、足高珠、鵜鹿鹿赤石珠、出石刀子、出石槍、日鏡、熊神籬、膽狹淺大刀,并八物。
仍詔天日槍曰:「播磨國宍粟邑、淡路嶋出淺邑,是二邑汝任意居之。」時天日槍啟之曰:「臣將住處,若垂天恩,聽臣情願地者。臣親歷視諸國,則合于臣心欲被給。」乃聽之。於是天日槍自菟道河泝之,北入近江國吾名邑而暫住。復更自近江經若狹國,西到但馬國,則定住處也。是以近江國鏡村谷陶人,則天日槍之從人也。 故天日槍娶但馬國出嶋人太耳女麻多烏。 生,但馬諸助也。 諸助生,但馬日楢杵。 日楢杵生,清彥。 清彥生,田道間守之。